【記事】「記念日とか面倒くさい」チームイーストウインド鬼軍曹の日常の姿に迫る - 田中正人 & Sue インタビュー #2

TV番組クレイジージャーニーで、鬼軍曹としてお茶の間にその名を轟かせ、ジャンクSPORTS出演時には「今後働かない」宣言で出演者に大バッシングを受けたこともある田中正人。

鬼軍曹というあだ名の印象や、クレイジーなイメージが先行(?)してますが、実はレースで大事なのが「人間力」と語る正人さん。

今回はチーム戦という特殊な環境であるレースでの貴重な体験や、お二人が結婚に至った経緯などをお伺いしました。Team EAST WINDリーダー田中正人さんと、プロデューサーSueさんのロングインタビューです!

〈 聞き手=まつもと(ゆるやま!)〉

逃げ場がないアドベンチャーレース

国際レースで海外の選手をみて、何か感じるところってありますか?

田中正人

海外の人って自己主張しっかりするっていうのをすごく重視していて、口喧嘩するんじゃなくてちゃんと相手もリスペクトした上で、お互いでしっかりと言い合うんですよね。アドベンチャーレースに必要な能力っていうのはまさにそれで、日本人にもみんなそうなってもらいたいなと。それはレースに限らず社会がグローバル化してるなかで、将来がちょっと不安ですよね(笑)

なので日本人はみんなアドベンチャーレースをやったらいいと思いますよ(笑)素の自分を「出さざるを得ない」ぐらいまで極限に追い込まれるんで、コミュニケーションの良い練習の場になります。

実はそういう意味では一般社会の方が難しいっていうか、逃げ場があるから。会社終わったら上司とは離れられるし、酒飲んでストレス解消できたりもするんですが、レースの場合24時間ずーっと一緒で、それが1週間、10日間続くわけで、途中でどんなに喧嘩しても物理的に離れられないから、どうにかして折り合いをつけなきゃいけない。

会社でも例えばプロジェクトチームが立ち上がって、どういうチームになるかって言ったらやっぱり本気度だと思うんですよ。そこまで熱意を持った強いチームが作れるかどうかが一番の課題ですよね。

アドベンチャーレースは否応なしにそういう環境に放り込まれるんで、そういうチームを誰でもすぐに経験できますよ(笑)

昔、間寛平さんを円形脱毛症に追い込んだこともある正人さんだからこそ?の言葉

日本と海外の選手の違いとか、それぞれの特徴みたいなものを感じたことはありますか?

田中正人

日本人って複雑に考えすぎてドツボにはまるみたいなのが、アドベンチャーレースやってるとすごく分かって。例えばレース中に熊とかジャガーとか出そうな藪を漕いでたりすると、みんな結構悲壮感漂っちゃうこともあるんですが。

でも他のチームは、体中傷だらけになりながらもめちゃくちゃ楽しんでて、自分たちのチームに対して「Enjoy!」とか言ってきて「俺たちはこの辛さを楽しみにきてるんだろ!?」みたいな感じでやってるわけですよ。そん時にね、やっぱこれは強いなと。

多分ね、忍耐力は強いんですよ、他の欧米人よりも。それはすごい感じるんだけど…でも結果的に強いのは、忍耐力よりも楽しむ力なのかなって思います。

地獄の夜から一転した初戦のレイドゴロワーズ

Sueさんからみて、正人さんを要約するとしたらどんな人ですか?

Sue

シンプルですね。とても思考がシンプル。小学校の男の子じゃないですけどやりたいことがあったら他のこと見れなくなっちゃうくらいに。

一番はじめの印象はとにかく恐いっていうか、鬼だなと思いましたね。出会ったときは特に自分ができることはみんなできるって思ってた時だったから、それこそ「なぜこれぐらいができないの?」みたいな。

サポートした最初のレースがレイドゴロワーズだったんですが、参加していた白石康次郎君の足裏がぐちゃぐちゃになってたんですよ。マメでふやけちゃって歩くたびに激痛が走るような状態で。

私はチェックポイントで待ってたんですけど、田中正人だけが先について他の人が全然来なくって。

結局他のメンバーは1時間くらい遅れてきてたんですが…むしろよくこの足で歩いたなって状態だったんですが田中正人はそれを認めないんです「みんな同じだ!」って言って。

「こんな腑抜けたレース展開なら僕はもうここでレース下りる!」みたいなことを田中正人が言って、それで女性メンバーの人が「え?止めないで」みたいな感じで泣いちゃったりとか。みんながこう…ツラい夜だったねあの夜は(笑)恐いっていうよりも「なんだこの人?」っていう。優しさ微塵もないなと。

そういう状況でも最終的にレース支えることになったわけなんですが、そのベースになっているものはなんですか?

Sue

その夜、時間もあったからミーティング開こうってなって、そしたらなんかもう…言いたい放題なことをみんな言い出して、ほとんど喧嘩みたいに言い合って。特に田中正人と白石君は同い年だったのもあって、両方とも負けないんですよ。

でも次の日、白石くん普通にレースに「行ってくる」って出発の準備を始めたんです。その一緒に泣いちゃった女の子も「キャプテンをゴール行かせてあげる」ってことを言い出したんですよね。

そうですね、私ももうここで頑張ろうっていう気持ちで。喧嘩ってすごいんですね…なんかこう不思議な空間でした。そのおかげでガッて1つに綺麗にまとまったんですよ。アドベンチャーレースの秘めたるものをそこで見たって感じです。

結婚に至るまで

書籍「アドベンチャーレースに生きる!」のすーさんの章のなかで、レイドゴロワーズの記述のあとに突然「〜年後に結婚した」ってなってるんですが、結婚に至るまでの間が読者にとっては空白で…この間は何なんだろう?と(笑)

Sue

空白の期間(笑)なんですかね…でもみんなそんな結婚に劇的なエピソードなんかあります?

多分、暇だったんですよ当時住んでいたアラブで。仕事もパツパツじゃないから時間に余裕があったのでいろんな人に手紙書いてて、そのうちのひとつが田中正人でした。今思えばキッカケになったのはそれですね。

文通というよりは私が一方的に送ってただけではあったんですけど。どっちかっていうとチームメンバーの鈴木あっちゃん(鈴木篤)のが仲良かったですもん。あっちゃんは丁寧に返してくれるんです…几帳面だから。

田中正人

もっと空白が埋まらない方向にいっちゃったじゃない(笑)

僕めんどくさがりなので、全然手紙とかメールとか返さないんですよ…

テレビ番組のジャンクSPORTSでも話題になった「記念日チャラ」ですけど、記念日チャラになるまでになにかプレゼントあげたりもらったりってあります?記憶に残ってる範囲で…

田中正人

あげた覚えはないな…(笑)

チャラにする話をしたのは結婚する前ですからね。まだ付き合ってる段階でチャラにしようって。

なんかそういうイベントごととかを全然大切にしないっていうか。ただ単に厄介…面倒くさいだけって思ってて。でも多分ね、なんだかんだ言って意外と価値観は合うんですよ、根本のところでは。

Sue

もらった覚えがない…多分1回もないと思います(笑)

SNSで他の人がやってるような「Special Day!」みたいなキラキラした感じというか、そういうのを投稿してる人を見て楽しそうだなとは思うんですけど、自分の記念日に対してはそこまで思うタイプではないですね。

あ!1回あった!昔、東京に出る用があってそれが私の誕生日に重なった日があったんです。で、銀座だよ銀座!そこでご飯食べましょみたいな感じになったんですよ。

その時たまたま私の知り合いが銀座で個展を開いてたので、ご飯行く前に見に行こうってなってコインパーキングに車を停めたんですけど…そこで田中正人がインキーしちゃったんですよ

「うあ…銀座でインキーかい」って思って、JAFを呼んで結局4時間くらい待つことになったんですよね。

車の鍵は無事開いたんでけど、JAFの会員じゃなかったんで9000円くらい取られちゃったんですよ。

で、お金がなくなってラーメンを食べて帰ったっていう(笑)

昔よく行ったハンサムラーメンとかっていうラーメン屋さんに連れて行かれて(笑)結局銀座からも遠ざかって板橋のラーメン屋だった。

ここまで引っ張りましたが、結局結婚までの空白は埋まらない(笑)

エピソードとしてはめちゃくちゃ面白いですが、その場には居合わせたくない

記事では紹介しきれなかった
インタビューの全容はこちらから!(第2回/全3回)

田中 正人

たなか まさと

Team EAST WIND

プロアドベンチャーレーサー

2017年、TBS系クレイジージャーニーに出演、アドベンチャーレースの認知とともに、「鬼軍曹」としてお茶の間を震撼(?)させた日本のAR界を牽引する田中正人。

疲労と苦痛の中レースを続けるチームメイトに「幻覚は楽しめ!」「失神したら痛いと認める」と檄を飛ばし、レース中嘔吐しそうになれば「(カロリーを無駄にするな)吐くな!飲み込め!」と発言するなど、過激な言動が注目されがちだが、チームメイトとの関わりを通じて「チームビルディングやリーダーのあるべき姿」を模索し続けており、アドベンチャーレースの魅力の一つが、「人との関わり、人間力」である、と断言する。

レース以外にもレース、大会の運営、講習会、講演会など幅広く活動している。

Profile Picture

竹内 靖恵

たけうち やすえ

EAST WIND チームプロデューサー

鬼軍曹の鬼嫁

鬼軍曹・プロアドベンチャーレーサー田中正人も怖がる鬼嫁。トランスジャパンアルプスレース(TJAR)実行委員も務める。

元某上場企業の翻訳・通訳。その語学力を生かし、1997年レイドゴロワーズ・南アフリカ大会でTeam EAST WINDのアシスタントを務める。

1998年アラブ首長国連邦にてロシア系の会社で秘書業務に就く。帰国後、Team EAST WINDのプロデュース及び海外レースの翻訳・通訳・交渉、国内アドベンチャーレースの事務局を担当する。そのキャシャな体にあるバイタリティは並大抵ではない。

Profile Picture

【記事】「記念日とか面倒くさい」チームイーストウインド鬼軍曹の日常の姿に迫る - 田中正人 & Sue インタビュー #2” に対して2件のコメントがあります。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です